二十七日目

何をどう頑張っても全然できない、ということがある。

きっと意外と初歩的なところで何かしらを間違えていて、私より経験年数の多い人ならすぐに解決してしまうのだろう。

くやしい。

自分一人の力でやってやると意地を張っていたものの、結局誰かの力を借りなければできないのだった。

くやしい。

 

二十六日目

ブチ切れてしまった、職場で。客先で。

結局全部私が悪いのだ、と自分を責めるのは簡単で慣れたやりかただけれど自分に向けた刃が自尊心をぐちゃぐちゃに傷つけるだけで、失敗から学ぶどころか後退していくのだ、きっと。

あいつも悪いし私も悪い。そういうことにしておく。私は早い段階で自分の意見を真っ直ぐに伝えるべきだったし、自分の意思を貫くべきだった。

自信のなさが一因だけれど、きっと自信をすぐにつけることはできないから。この経験から学び似たようなことがあったら自分が正しいと思える道をとれるようにしたい。判例。テストケース。そういう感じ。

 

 

二十五日目

3/19、月曜日。

気が付いたら最後の更新から二か月経っていた。

なかなか続けるのってむずかしいものだ。そんなに書くことも見つからないし。

書くことも見つからないくらい平凡な日常に感謝すればいいのか、平凡な日常から驚きを、感動を見つけられない自分の乾いた感性にがっかりすればいいのか。

とりあえず日常に変化をつけるためにこの先一か月の目標を立てようと思う。

①今読んでいる本二冊を読み切る。

②使ってない昔のゲーム、おもちゃを処分する。

③ピアノの体験教室に行く。

 

二十四日目

1/29、月曜日。

気に入っていたロルバーンのチェック柄のノートを買いに銀座のロフトと伊東屋に立ち寄った、会社帰りに。

チェック柄はどこにも無くて、ベーシックな単色ノートだけがロルバーンのコーナーに陳列されていた。諦めきれずにノート売り場をうろうろしたけれどやっぱりどこにも無くて、ネットで検索したらどこも品切れのようだった。悲しい。次からはどのノートを使えばいいんだろう、また新しい柄は出るんだろうか。文房具に詳しいわけではないからよく分からない。しょんぼりしながら銀座の街を歩いた。

こういう風に買いたいものが明確であるときほど、それに出会えないことが多い気がする。買い物に向いていないのか。それとも普段買い物をするときに目的が定まっていないことのほうが多いからそう感じるだけなのか。

いずれにせよ新しいノートを買いたいなと思った、2月までに。

 

二十二日目

2018/1/14、日曜日。

ぼーっとしていたら大晦日を過ぎて新年が明けて仕事始めの日になりまた同じ時間に起きて家を出る日々が始まり普通の土日休みを迎えていた。

ここ一週間は脳がでろでろに溶けたチョコレートみたいでまともに仕事が進まなかった。仕事中も気づくと心ここにあらずで、年末の飲み会以来顔を見ていない好きな人に会いたいなあと思ってしまった。12月のやる気はどこに行ってしまったのだろう、やる気スイッチが本当にあれば楽なのにね。

高校生のころ、私は電車通学だった。高校の最寄りの駅は利用者の多さのわりにはホームが狭く、階段の数も改札の数も少なかった。階段には上りと下りの境目に黄色い色の手すりがあり、上りに比べて下りのスペースは人一人通れるくらいのスペースしかなかった。おそらく朝の通勤、通学の時間帯に上りを使う人がとても多かったからだろう。

ある日、普段はあまり一緒に帰らない同じクラスの子数人と一緒に下校したことがあった。みんな電車通学だったので改札を通り女子高生らしくぺちゃくちゃおしゃべりしながらホームに続く階段を下った。

そのとき、ある一人の女の子が「なんでみんなこっちを歩かないの、下りって書いてあるのに。」と言った。その女の子はきちんと下りと書いてあるスペースを歩き、私を含めたほかのみんなは上りのスペースを歩いていた。ほかに階段を使っている人はいなかった。

え、と思った。なんでってなんで?と思った。違和感を感じた。けれどそのときの私はなんで、の理由を答えることができなかった。違和感を感じたけれど自分が何に違和感を感じているのか分からなかった。その女の子はルールを重んじる子で、いつも正しいことや正しいとされることを行動の指針としている子だった。だから、何となく、確かに階段を下るときは下りって書いてあるほうを使うべきか、そっか、と思い、そこからしばらく階段を下るときは必ず下りのスペースを使った。

それから数年経って、ふとしたときに上り、下り、とスペースが区切られているのは階段が混雑したときなどに利用者同士がぶつからないように、階段を利用しやすいようにするためだ、と思った。必ずしも決められたスペースを歩かなければならないのではなく、上る人、下る人の人数や状況に合わせてスペースをはみ出してもいいんだと思った。ルールがある場合はそのルールが何のためにあるのかを考えて、守るべきか守る必要がないかをそのときどきの状況で考える必要があるのだと思う。考える葦。

気を抜くと私は考えることをやめてしまう。考えないほうが楽だから。考えずに教師に言われるがまま勉強をして考えずに志望校を決めて考えずに受験して考えずに浪人して考えずに予備校通って考えずに志望校を決めて考えずに受験して考えずに大学に入学して考えずに就職して考えずに働いているのかもしれない、と思ったら怖くなる。少しは考えていたはずだけど、たぶん、たしか、きっと。

素直だね、と褒められることが多かった。それは半分本当で半分違う、素直じゃなくて自分の頭で考えていないだけなのだ。無抵抗で受け入れてしまう。そして後でどうしてもっと考えなかったんだろうと後悔する。

もうそういう後悔はなるべくしたくないなと思う。

なんとなく思い出したまま書いた。

二十一日目

12/26、火曜日。

クリスマスが終わればすぐに年末で。世間の時間の流れの速さに戸惑いつつも、難なくその流れに乗っている自分がいる。すぐに慣れてしまうんだ。だけど年末に向かってだんだんと街が静かになっていく感じ、嫌いじゃないのかもしれない。

このまま時間が止まればいいのになって思う。